超がつくほど久しぶりに休暇を取って、せっかくなので宿も綺麗なところに泊まって、遅蒔きの夏休みを堪能しまくろうとしたら、なんか前々日あたりからニュースで台風情報が流れているじゃないですか…。
(9月)1日の午前に「非常に強い」から「猛烈な」となった台風11号ですが、その後に別の熱帯性低気圧を吸収すると、サイズは大きくなったもののランクは2つ下がって「強い」台風になりました。 気象庁は現在の955hPaから5日には925hPaになると予想していますが、その間はほとんど移動しません。その後大きく移動速度が上がると、7日には980hPaまで弱まるとしています。 本州の方は強風より豪雨の方を心配するべきかもしれません。
とりあえず、やばいってことだけはわかりました(笑)
いや、全然笑えないんですけど!!!
と思っていたら、
さらに、
週明けの月曜日、火曜日は特に要警戒です。
私が旅行に行くのはまさに月曜日、火曜日でした。
『ちょっと待て、貴様一体どういうつもりなんだ?いくら宿に払ったと思ってるんだ?食事とか、わざわざフルコースに変更したのに、なぜ台風の中でそんな食事をとらなきゃならないんだ?お前、私がどれだけ休暇らしい休暇がなかったか知ってるのか?』
正直日程をズラすこともできたのですが、ポーラ美術館の展覧会はこの日が最終日だったので、どうしても行かざるおえませんでした。
前日の夜は台風ズレろとずっと願っていました。
現代美術のあり方として、ズレということがよく取り上げられます。
ものがあると言うことと現実のズレ。哲学的なかっこいい言い方で言うと『差異』。一度積み上げたものを崩して再び構築する『脱構築』などとよく表現されます。
本来あるべきところにあるものがそこにはなく、別のものがある。そのことによって発生する認識のずれ、空間的な差異、それこそが既存の価値観や言葉では表現できない、まさにアートが出現する瞬間なんです。
簡単に言うとそんなようなことです。
この時の私はとにかく『李禹煥でもリヒターでも、マルセル・デュシャンでも誰でもいいから石とか便器とかずらしてないで『台風ずらせよ!』と思っていました。 アースワークと言う地球規模の地面とか空とかを扱うアートがあるのですが、『台風ずらしたら究極のアースワークとして歴史に名前が残るぞお前らッ!!!』って、何がなんでも休暇が台無しになるのが嫌でした。
でも、結局当日は台風の影響はあまりなく穏やかな休暇を過ごせました。こっそり李禹煥がずらしてくれていたのなら、学生時代一度も出勤してるところを見たことがなかったのですが(李禹煥は実は私の母校の名誉教授になっています。7年間で一回も見たことないけど。)その全く見たことなかったということの全てをチャラにします。
で、これから始まるのがそんな台風に直面しなかった、前回の話の続きです。
『現実は小説よりも奇なり』
と言いますが、
恐れていた台風が来ることよりも、さらに恐ろしいことが翌日に起こるなんて。 この時の私はまだ、知る由もありませんでした…。
本人談
なんてことは全くなくて、本当に『恐ろしく何も起こらない、恐ろしく平凡な2日目』の話がただ淡々と始まります。
もぉ、始める必要があるのかがかなり疑問なんですが(笑)
と言うことで、前回の続き、ポーラ美術館の館内から始めます。
はい、皆さん、画面を切り替えようとかしないように!
開館20周年ということで、新収蔵の作品をメインに公開しています。
この岸田劉生の麗子像を見ると毎回思い出すのが『玲子』っていう中島みゆきの歌です。
玲子 いい女になったね 惚れられると女は本当に変わるんだね. 玲子 街も一人で歩けない 自信のない女だった お前が嘘のよう ひとの不幸を祈るようにだけは なりたくないと願ってきたが 今夜お前の 幸せぶりが 風に追われる 私の胸に痛すぎる
中島みゆき『玲子』より
この絵のレイコに惚れたら、岸田劉生に呪い殺されそうですが(笑)
そしてどちらかというと中島みゆきの内面の方がこの麗子像っぽいという(笑)
ズラーッと名画が続きます。
ベルト・モリゾの作品です。
こちらはマネが描いたベルト・モリゾ本人です。(*本展覧会には出品されていますせん)
ルノアールの作品
セザンヌの作品
化粧品会社が運営するからか、なんか『THE・名画』みたいな重い感じの作品ばっかじゃなくてカジュアルでおしゃれにいい作品がチョイスされてるのが目に優しいです。
あとよく作品タイトルで『無題』って見かけるんですけど。
タイトルあんのかないのかどっちだよ!っていう風にこういうの見ると思います(笑)
お前も来る?って言ったら、『行けたら行く』って言う奴みたいな。
たいていそういう奴は来ないんですけど(笑)
杉本博司さんの作品です。すごいよかったです。ただなんか説明が難しくて何言ってるのかよくわからなかったです(笑)
最後の方はリヒターの絵とか色々有名な現代美術系の作品もたくさんあったのですが、もうさっさか美味しいもの食べたくなって絵は結構どうでもよかったです。すいません重鎮の方々。
あと入口エントランスにはこんな作品が。
集英社のエントランスにおきたいですね。しかも作っているのが80代のご婦人ってことにビビりました。
外に出て庭園を回ります。
自然が綺麗です。
ロニ・ホーンの作品
生きとし生けるものと自然を慈しみます。
その後、悲劇が起きてました。
『お、俺知らないよ…』って感じで顔を背けてます。
とか、思っていたらこんな看板が。
いや、悟りを開いた人じゃない限りそんな落ち着いて対処出来ないないでしょう!!(笑)私も悲劇に見舞われないように、早々に引き上げました。
ポーラを出るとすぐホテルに入り、特にその日は何もしませんでした。
昔だったら限りある時間を最大限に使うべく夜までやってる美術館に行って、外で食事を取って、温泉に入って、それからホテルに帰ってホテルの温泉に入って深夜に寝るみたいなフルコースだったのですが、今はもう体力的にも気持ち的にもそんな『乾いた雑巾をさらに絞って水を出す』みたいなことはしません(笑)
さっさとホテルの部屋に行って、お土産でいただいたワインを飲んで夕食を待ちました。
そしてワインを飲みながら次の日の準備をしてたら重大なことを思い出しました。
絵を描こうと思って持っていったスケッチブックとパレットはあるのですが、筆がないのです。
しっかりおつまみとワインは持って行って、わざわざグラスまで用意する始末なのに筆は持ってきていない!!絵描き完全失格ですね。
日本旅館で読んだら素敵だな、と思って持ってきたのですが、まずそもそも泊まったのが旅館ではなくホテルなのでその時点で全くだめでした。そしてお酒を飲んだら全く読む気が起きず、ただ重い荷物が増えただけになってしまいました。
めっちゃ分厚い
筆を忘れ、鉛筆だけ行きのコンビニで買って来ました。
翌日、ホテルの庭にあった水辺で絵を描きました。
筆がないので部屋のティッシュと洗面所にあった綿棒を使って。ピカソの言葉を思い出しながら。
絵の具がなければパステルで、それもなければクレヨンで、クレヨンもなければ鉛筆で、裸で監獄に入れられたら、指にツバを吐いて壁に描く。
パブロ・ピカソ
やってわかったことはいかに筆が描きやすいかでした。
そして、
いなくなり、初めてわかる、家族の温もり。 いつまでも、あると思うな、親と金。
みたいなことを思いました(笑)あと画材はまずお酒より大事に、そして先に用意しようと思いました。
そして待望の夜ご飯です。なんか今回の旅行はずっとご飯食べたりワイン飲んでばっかりいた気がします。内容がだんだんインスタグラム女子みたいになってきてますが(笑)
おしゃれにズッキーニが巻いてありました。締め切りが近い作品提出の作品にこのズッキーニをお皿ごと出そうかと思いました。
なんかトリュフとか出てきました。昔会社の上司が食べてたおしゃれなチョコみたいな食感でした。
翌日は、朝少し散歩すると近所に大量のソーラーパネルハウスがありました。桃山時代のお金持ち豊臣秀吉は金箔を家中に貼り付けて贅を尽くした家を建てていましたが、われらの時代のお金持ちは家にソーラーパネルを貼りまくっています(笑)
300年後に観光名所になるかはちょっとわからないですけど(笑)
ホテルでの休暇を満喫して翌日はホテルから徒歩数分のラリック美術館へ行きました。今まで行った美術館でどこが一番好きかと聞かれたら、多分ラリック美術館と答えます。それくらい好きな美術館です。
特に何があるというわけではないのですが、静かでゴミゴミしてなくて、作品を見るっているのはこういう状態が一番いいのだと思います。
思えば地方の美術館はどこもこんな感じで、東京の美術館で5時間待ちとかいうのを見ると朝からパチンコに並んでいる人と同じようなものをみる気分になります。内容よりも見る環境や状態が大きく作品鑑賞には作用すると思います。
ちなみにこの美術館はいつ行っても人がほとんど居らず、本当に運営的に大丈夫なのか?と不安になるくらいなのですが、静かな私邸のような美術館で大好きな場所です。
中に入ると木のぬくもりが非常に感じられて美しい空間が広がっています。こちらも館内は写真を撮ることができないのでホームページのリンクを載せておきます。
お庭の敷地面積が広く、それが綺麗です。
写真を撮っていいのかダメなのかよくわからなかった休憩室です。
モネの睡蓮のある庭みたいです。
ここでゆっくり館内を見てその後カフェでワインをいただきました。
こういう時、本当に生きてて良かったと思います。これ以上の幸せはないと思えるくらい幸せを感じられ、自分でもコスパの良い人間だと思います。
特別料金を払うと電車の中でランチが食べられるらしいです。大人のおままごとみたいな、妙なディープさを感じました。
静かな中でガラスの作品をながめ、カフェで食事をっとって外を眺めながらお茶を飲む。本当にこの美術館に来てポーラ美術館を見てあとはその辺を散歩するくらいで旅行の量としては十分な気がします。食事もあまり食べなくなり、バイキングも昔は洋食の後に和食のプレートに切り替えて食べられるだけ食べて家族から『気狂いなんじゃないの?』とか言われていましたが、今はお試し食べ比べセットみたいな量しか食べません。
ホテルでとった朝食
その後の予定は全く立てていなかったのですが、もう美術館とかはいいので純粋に観光を楽しもうと思いました。
そして海賊船に乗ります。
出発前の外気はなんか不穏な空気を醸していました。なんか起こりそうな…どんよりした曇り空です。
小道は険しい。丘陵はエニシダに覆われている。大気はじっと動かない。なんと鳥たちと泉は遠いことか!このまま進んでも、あるのは世界の果てだけだ。
アルチュール・ランボー
の詩が、不意に頭に浮かびました。
まぁ、私が行くのは世界の果てじゃなくてただの箱根の終点なんですけど(笑)
船の中ではやることがないので前日の残りのワインを取り出し、最後はコップがなかったので船でワインをラッパ飲みするという暴挙に出ました。
『パーマネント・バケーション』というジム・ジャームッシュ監督の映画があるのですが、主人公の10代後半くらいの男が海を見てモラトリアム期を脱してニューヨークからパリに旅立っていくラストのシーンが思い起こされました。
ちなみにこの映画はジャームッシュの卒業制作で学生という実際のモラトリアムを『パーマネント・バケーション=終わりのない休暇』にかけているのだと思います。映画の主人公の倍の年齢になっても同じ感覚でいられることになんとも言えない感慨を覚えます。
映画と重なるような、終わりのない休暇を見ているような若者の光景がありました。
一方完全に別の映画になっちゃっている私がその隣にはいました。
田中康夫の小説『なんとなく、クリスタル』の続編で、『33年後のなんとなく、クリスタル』という本が少し前に出ていたのですが、もはや『なんとなくでさえない、パーマネント・バケーション』が今も私は続いています(笑)
海賊船に乗る際に、これから乗り込もうとしていた乗客の老夫婦が船と一緒に自撮りをしようとしていてうまく撮影できずに戸惑っていたので、
『お写真撮りましょうか?』
などと声をかけたら、周りの人たちから次から次へ『私も!私も!!」』とせがまれ、気づいたらこの船に乗っている観光客一向の専属カメラマンのように集合写真を撮らされる羽目になりました。
普段一人で旅行をしていて、全く寂しいとか不自由を感じることはないのですが、この時ばかりは誰かを連れて来れば良かったと心底思いました。
皆さんの写真を撮りおえ、船の先端で行先を見守り、残りの時間の過ごし方を考えます。
ホテルのお姉さんが
『箱根町港の方はおしゃれなカフェとかいっぱいありますよ〜』
と言っていたので船に乗ってとりあえず終点の『箱根町港』まで行ってみることにしました。
さらに次回へ続きます。
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